この問題は本当に難しい。正直結論は出てない。自分の考えをできるだけやさしく説明します。
問題の概要
猫はかわいいのだがその地域で住む人からするとうるさい、くさい、荒らされるなど問題になっている。
じゃあ猫を排除すればいい
となるわけだが、実際そう簡単にはいかない。それは猫がなわばり意識を持ち、その猫を勝手に世話をしている人が居るからだ。
そして繁殖のスピードが早い。それでいてかわいい(つまり愛玩動物でもある)のだ。
猫を保護する立場とその反対の立場の人が居るのだ
猫を守る立場の意見
これが実は厄介なのだ。
ねこおばさん が地域にいると思う。おじさんかもしれない。
その人次第だが、いい人もいればそうでない人も居る。
しかしどのみち猫に過保護なのだ。経験則ではそういう人は何かしら事情があり独身や子供に恵まれなかった方が多いと感じる。そして猫を我が子のように愛するのだ。悪いことではないと思うが行き過ぎてしまうケースが多い。
あまり人としてよろしくないねこおばさんの場合、はっきり言って怖い。ヒステリックなのだ。
経験上
猫の写真を撮っているとめんどくさい絡み方をしてくるのだ。
最初は猫の名前とかを教えてくれるが、次第に被害妄想のようなその猫の受けた残虐な仕打ちを語ってくる。中にはどう考えても言いがかりのものもある。
それはまだましな場合だが、今までの最悪のケースでは
”猫をいじめにきたの?”とまずはじめに言ってくるパターンだ。もうすでに妄想が始まっているのだ。私は猫につきまとうストーカーのように思われてしまった。
そして"撮った猫をSNSに上げて知り合いの人をつれてきたりして拉致したり、それを観た人が猫を、、、"
ともう言いたい放題される。そういうおかしい人が相手なので、厄介事にならないように相手の話を聞くだけ聞いて心を空っぽにして謝ってその場を立ち去るしかないのだ。
反論はしたいが相手は日本語が不自由な場合が多いので得策ではない。
そういう人は過激思想を持った人と何ら変わらない。自分がすべて正しいと思ってるのだ。
純粋な猫をかわいがる心、もはや親心と同じだ、そしてその純粋な心が一度乱されると人は優しさを失い、他社を信じられなくなり、すべてを疑うようになる。
すると猫を独占したい心が芽生えてくる。独占することで猫を危険から守れるからだ。
会ったことのある多くの人がそういう背景を持っていた。
実際猫に悪いことをする人間がいるのは確かだ。
その悪い人に対する怒りの心は私も持ち合わせている。しかし保護の対象は飼い猫ではなく野良猫なのだ。
飼い猫であれば所有権が明確であり、動物愛護法や飼い主の監督不足と決着がつく可能性が高い。しかし野良猫は所有権が曖昧であるために動物愛護法が適応できるか曖昧なところがある。
野良猫は誰のものか?
これが争点だが、個人の所有物ではないと思う。よろしくないねこおばさんは自分の所有物として野良猫を扱っている。それが近隣トラブルの原因でもある。気持ちは痛いほどわかるが野良猫は野良猫なのだ。
逆によいねこおばさんはある程度社会に対して理解のある方だ。このような方は優しい方が多い。
優しい方は当然地域の方ともよい関係を組めているケースが多い。そういう関係が地域に理解を産み、猫に優しい地域になる。
ヒステリックなねこおばさんははじめからけんか腰だったり口調がきつかったりする。そうするとやはり地域の方からも面倒な存在と認知されて溝が深まり、猫に対するまなざしが冷たくなる。
いろいろ行ってわかったのは猫に優しい地域は実は少ないということ
悲しいけれども。カメラマンに何ができるかというと場所を公開したりわかる情報を入れないことだ。正直写真を撮らないほうがいいくらいかもしれない。
私は現状大規模な猫ボランティアの方と会ったことが無いのでその人たちについては書けない。しかし大阪城公園のようにしっかり活動されているのは素晴らしいことだと思う。猫を世話されている方々の様子を見えるようにするのはとてもいいことだと思う。
猫を嫌う人
文字の通りだ。猫かわいいかわいい言うが猫の喧嘩や夜鳴きする声は非常にうるさい。睡眠妨害とも言える。私も何度か朝方に起こされた経験がある。
近所はそこまで猫がいないから良いものの猫だらけの場所であれば地獄であろう。
そして次に猫の糞尿。猫は犬のようにそこら辺ではしない。砂地でする。しかし強烈な匂いを発する。家の庭に毎回糞をされて困っている人の話は壮絶であった。毎日その片付けをさせられるのだ。自分の庭に。それはひどく苦痛である。
他には爪とぎ。猫は爪とぎをする。野生の名残とも言えよう。狩りの際にその鋭い爪を使って獲物を殺す。そのために彼らは毎日爪とぎをお気に入りの道具でする。
木を使うことが多いように思えるもののタイヤで爪とぎをする猫を見たことがある。
他には新車で爪とぎされたなんて話も聞いたことがある。
高齢者の多く空き家の多い地域で問題なのは空き家を占拠されてしまうこと。
これが深刻で糞尿でくさいわ、爪とぎでボロボロにされるわ、子育てをされるわで困り果てている地域もあった。
猫好きでない人、被害に遭った人は猫を嫌い排除へ進む。
解決策(?)
TNR という言葉をご存じであろうか?トラップニュートラルリターン、つまり捕獲して去勢手術等をして元の場所に戻すのだ。
ただしかしこれには何点か問題がある。トラップを仕掛けて猫を捕まえなければならない。
とある場所で昼にお世話に来る人と夜にお世話に来る方がいて、昼に来られる方がトラップを仕掛けた。というのも触れるくらいなついていなかったからだ。
そんなことを知らなかった夜にお世話に来る方が猫が虐待されると勘違いして少し面倒なことになったことがあった。
猫捕獲用の装置は金属製の結構物々しい罠であった。確かに勘違いしてもおかしくない。
猫を捕獲したら野良猫を車で病院まで移動させるのでやはり暴れる。猫からしたら優しくしてくれた人に拉致されて、よくわからない場所で人間に手術をされるのだ。
宇宙人にさらわれて繁殖できないように手術されると考えると怖い。
実際に元の場所に戻してすぐはおびえていつもの場所にいつもの時間には戻って来なくなった。
しかし現実的には人が世話しなければ生きていけないのでやはりいやいや戻ってくる。
猫に苦痛を伴うのだ。
しかしどんどん増えてたくさんの猫が食べ物に苦しむことを防げたりと将来のことを考えればその猫が苦しむことで未来に苦しむ猫を減らせるということだ。
それがいいのか悪いのか。
苦しむ猫を減らしたい人からすれば是非進めるべきと思う
猫嫌いの人たちも同意見だ
これに反対するのは一部猫好きである。
猫に苦痛を与えるべきではないと考えるからだ。生き物として生まれたらその役目を果たさせるのが自然の摂理であると考える。
そういう方はTNRを人間で置き換えて話されることが多い。確かに嫌だ。こうして同情を求める。
生まれたら自然に自由に生きる権利がある。
ただこれに茶茶を入れれば、猫は自然に生まれてきた野生の生き物ではない。元々飼い猫だった猫が何らかの理由で逃げ出して野生化しただけで元々人間がいけないのだ。日本では。
猫は元々エジプトのほうが出身だ。だから砂場でトイレをする癖が残っていると言われている(諸説あり)
だから人間の犯した不幸な生き物の命の連鎖は人間が絶つ、これがTNRとも感じる。
さらにここに茶茶を入れれば
不幸と決めつけるのは人間のエゴだ
ということだ。
生き物は必死に生きていて、人間のエゴで生き物の生死に関わるべからずということだ
この二つが対立する。
それに加え自治体の地域まかせ感がTNR普及を妨げている。タダできる手術でもない。
結局解決が難しい。
しかし現状きれい事だとしてもTNRはマシっぽいと思っている。
無責任な餌やりは街を汚す。アリやゴキブリ、カラス、狸が増える。食べ残しを最初は食べてくれる存在だと思うがカラスや狸は平気で猫を襲う。狸は猫より大きいから喧嘩をすれば負ける。実際に負けた猫を見たことがある。相当ひどい負け方をしたようだ。
また、猫は子供が生まれてもいつの間にか0になっているなんてざらだ。残酷だ。だからあんな繁殖力が強いのだと感じる。
猫は結構そういうの強そうだけどかなり死ぬ。具体的には肉食の生き物に食われたり交通事故、病気、他の雄猫による子殺し等など。
どのみち苦しむなら生まれないほうがいいともとれる。人間に置き換えては残酷過ぎる。ただ猫に対してはそれがましという結論だ。
これは人間目線で決めてしまっている。それは良くないと言いたいがじゃあどうすれば良いかというとこれといって思いつかない。
理想を語れば
野良猫がすべて飼い猫になれば良い
と思う。勿論そんなの無理だなんてわかっている。
元々野良猫なんて言う猫は居なかった。しかし我々人間のせいで外で生活する猫が増えた挙げ句今のような事態になってしまった。
じゃあ元に戻れば良いのだ。そうすれば野良猫は居なくなる。地域問題が解決に向かうのだ。
これはあくまで理想だが、猫目線で良いのかはわからない。
もし子供の居る猫の親だけ、または子猫だけを飼い猫にしてしまった場合、残された猫はどう感じるだろうか。
もちろん人間のように感情を持つものとして猫の立場を想像してしまうこと自体良くない。
だが今回は多少は許して欲しい。でないとまったく話が進まない。
本当の本当に素晴らしい解決策は猫にインタビューして未来を決めさせられればよいがあいにくそうはいかない。
馬鹿げているとお思いになる方も居ることは百も承知だがこの問題は生き物相手なのでそうでも言いたくなってしまう。
ここまで言えば強引であってもTNR活動がマシであるのはわかって頂けると思う。
間違いなく最適解ではないが妥協をどうにかしても良いラインである。
しかし
猫を観光の一環にしている街があるのはご存じだろうか
それは基本的に市などは公認をしないが尾道や猫島などは猫が観光業をになっている側面がある。
かわいい猫にあって癒やされたい(あんまり癒やされるという言葉自体好きじゃないが)
猫と写真を撮ってみんなに見せたい
おおよそ動物園に行くのと同じ感覚だ。しかも入園料はかからない。そして猫ブームは未だに続いている。
猫は十分に観光資源としての能力がある。
すると猫が居なくなることで観光に影響が出てくるのでは無いか?
猫に会えると聞いてわざわざ遠くから出かけたのにも関わらず一匹もで会えなかったなんてことがあったらあなたはどう思うだろうか?
勿論猫に会うためにそこへ行った人はまず来なくなる。そうでない人でも観光ついでに猫もみれたらなぁと思っている人も多少はがっかりするだろう。
SNSで拡散されて観光客が減るなんてこともある。
具体例をあげれば尾道
広島の東部の誇る一大観光地である。少し昔の日本という感じの懐かしさと瀬戸内海の島々が織りなす素晴らしい景色をぎゅっと凝縮している。
多くの人は寺と風景、そして道中であえる猫を楽しみにしている。
実際のところ、最近猫は減っている。
夕暮れに駅で
"思ったより猫が少なかったね"
と言ってる観光客がいた。
似たような話は何度か聞いたことがあるし猫好きの集まる場所で会った方でそのようなことをおっしゃる方がいた。
観光を考えれば正直猫がいたほうが良いとは思う。
猫目当てに来る人が増えればそのぶん尾道でお金を落とすようになり、経済の活性化も多少貢献できると思う。
しかし、尾道に住んでる人の意見を尊重しないといけない。
観光は経済効果を生む反面、住んでいる全員には直接還元されるわけじゃない。むしろ観光客の増加でゴミが増えたり、夜にうろつく人がでたりと治安面で不安になったりする。
難しい。ただ間違いなく地域の猫に対する理解とその方針を大々的に示していくことは大事であると思う。